太平道の指導者・張角。後漢末における戦乱の直接の引き金と言える黄巾の乱。
その乱を起こした太平道の指導者がこの張角である。隠しようの無い漢朝の腐敗に対して、
農民を深い団結力で結び付け反旗を翻したのだ。その勢いは凄まじく、
わずか半年足らずの間に数十万の勢力を形成し、朝廷が送り出した官軍と対決することとなる。
この時に、兵達が黄色い頭巾を着けていたことから、黄巾の乱と呼ばれた。
序盤は民の士気も高く勝利を重ねたが、八月に張角が死亡、続けて弟の張宝、張梁も戦死し、
反乱は一年を経たずに終息してしまう。
しかし張角の意思は民の間に強く残り、以降二十年余りにわたって漢朝は黄巾の残党の反乱に悩ませられた。
演義で張角は悪役として描かれているが、それは中国の人口を激減させた戦乱のきっかけを作ったとされるからだろう。